2025年万博に⼤阪が⽴候補、パリと争う。経済効果は1.9兆円

2025年万博に⼤阪が⽴候補、パリと争う

⼤阪の松井知事、万博誘致委員会の会⻑を務める経団連の榊原会⻑、フランス駐在の⽊寺⼤使は、4⽉24⽇、パリの博覧会国際事務局(BIE)を訪問し、2025年万博への⼤阪の⽴候補表明する⽂書を届け出た。⽇本政府は、今⽉11⽇、⼤阪湾の⼈⼯島の夢洲(此花区)を会場の候補地として、2025年万博に⽴候補することを閣議了解し
ている。

経済産業省が4⽉7⽇に取りまとめた報告書の試算では、2025年⼤阪万博の経済効果として1.9兆円(内訳は、建設費0.4兆円、運営費0.4兆円、消費⽀出1.1兆円)を⾒込んでいる。試算の前提となる直接的な関連⽀出は、会場建設費で約1,250億円程度、運営費は約800-830億円、地下鉄中央線の延伸などを含む関連事業費は約730
億円以上としている。この経済効果の試算には、万博関連のイベント開催や観光客の増加、次世代端末やサービスの普及などの間接効果は含まれていない。

⼀⽅、⼤阪府は、2016年6⽉の試算で、間接的な関連⽀出を含む全国への経済波及効果は、全体で6.4兆円(うち直接効果は2.3兆円)に達すると⾒積もっている。
2025年万博に向けた誘致合戦では、既に⽴候補を表明しているパリが、⼤阪の最⼤のライバルになると⾒られている。世耕弘成経済産業相は11⽇の閣議後の記者会⾒で「フランスはたいへんな強敵だ。オールジャパンの体制で必勝を期していきたい」と述べた。榊原会⻑も、「国の威信をかけた戦いだ。決意と覚悟を持ち、全⼒
で取り組む」とのコメントを発表した(いずれも4⽉11⽇⽇経報道)。開催都市は、2018年11⽉に予定されているBIE総会で、加盟国による投票で決定される。
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パリでは、1937年を最後に万博は開催されていないが、それ以前は19世紀半ばか
ら何度も万博が開かれてきた。⽇本が万博に正式参加したのも、1867年のパリ万博
が最初であった。当時の徳川幕府、薩摩藩、佐賀藩による⽇本の展⽰は好評で、
ゴッホなどポスト印象派の画家に⼤きな影響を与えたとされる。幕府は、パリ万博
に出展するだけでなく、最後の将軍となった徳川慶喜の弟の昭武を代表とする親善
使節団を派遣した。当時27歳の若きサムライだった渋沢栄⼀は、幕⾂としてこの使
節団に随⾏し、パリ万博を視察している。この時の様⼦は、本⼈の⽇記や数多くの
⼩説、伝記で⽰されている。
渋沢⽒は後に「⽇本資本主義の⽗」と呼ばれる実業家になるが、資本主義に対する理解を深める上で、この渡仏時の経験が⼤きな影響を与えたと⾒られる。

1923年の本⼈の新聞への寄稿記事(神⼾⼤学経済経営研究所新聞記事⽂庫)によると、フランスから帰国後の明治初年頃には、同⽒は早くも株式取引所の設⽴を主張していた。
⼤隈重信が蔵相時の1878年に東京株式取引所の設⽴免許が出されたが、それまでの経緯は、この本⼈の説明によると以下のようであった。

「どうしても企業を盛んならしめるには従来の個⼈の資本では到底駄⽬だから⼤いに国⺠⼀般から資⾦を集めて株式組織の企業を起さなければならないが、それには必要な時には何時でもその株式を現⾦に代え得る制度が出来ねばならぬ。
そこで外国の例を調べることになり、故福地源⼀郎⽒が英国のストック・エキスチェーンヂのことを翻訳してこれを政府において詮議したのであるが前にいった⽟乃世履⽒(後の⼤審院⻑)が当時司法部内に在って頑強に反対していたので容易に実現を⾒ないでいた処がたまたまこの⼈と当時我が法律顧問として有名だった仏国⼈ボアソナード博⼠と法律上の議論をしてる中に、取引所問題に触れボ⽒から⼤いに論破されたので⽟乃⽒は正直な⼈だから余の事務所に態々来て従来の反対論を撤回したというようなこともあった」

今年は、渋沢栄⼀⽒の渡仏から150周年にあたる。東京都北区の渋沢史料館では、「渋沢栄⼀、パリ万国博覧会へ⾏く」と題する企画展を6⽉25⽇まで開催している。筆者は、弊社⼤⼿町オフィスから⽇本橋本⽯町の⽇銀本店まで歩くことが多いが、その途中の線路と⾼速道路の⾼架に挟まれた常盤橋公園(現在⼯事中)には、渋沢⽒の銅像がひっそりと建っている。昨⽇も、⽇銀決定会合後のエコノミスト説明会に参加するためにこの側を通った。城⼭三郎⽒の⼩説「雄気堂々」の冒頭部分には、銅像を作るという話が出るたびに、「また⾬ざらしにされるのは、ごめんだね」と同⽒が顔をしかめたというエピソードが紹介されている。

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